築地

  13, 2017 15:15
皆様こんにちは。

私は歴史探究が趣味なので、
昨今何かと話題の築地について歴史的見地から築地を紹介してみたいと思います。

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東京の魚河岸は元々築地にあったわけではなく、江戸時代は日本橋川沿いに点在していました。
日本橋川は神田川から分流し隅田川に流入する約5㎞ほどの川で、現在は首都高の高架に隠れひっそりと流れていますが、魚河岸の記念碑がちゃんと建っています。
一方その頃の築地は何だったかというと、鉄砲洲という地名の武家屋敷や寺院が立ち並ぶ場所でした。
しかし時は幕末、ペリーが来航して以来、幕府は西洋人を隔離するため居留地を設置せざるを得ませんでした。

そして横浜などに続き築地にも外国人居留地(現・明石町付近)が造られました。
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築地居留地は横浜居留地に比べ商人にとっては不人気だったため、ミッションスクールや教会が造られました。
これらは現在のキリスト教系大学や聖路加病院の源流になっています。
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日本初の鉄道が敷かれたのが当時の新橋~横浜間だったことを考えると居留地を想定していたのかなと思ってしまいます。
ちなみに当時の新橋駅は現在の汐留駅にあたり、パナソニック汐留ビルの前には当時の新橋駅が再現され、現新橋駅にSLが展示されているのもその象徴だったのですね。
話しがそれましたが・・・
築地居留地は関東大震災で名実共になくなり、同じく被災した日本橋魚河岸が築地に移転することになりました。
そして市場で働く方々の努力で都民の台所と言われるまでになった築地ですが、昨今の外国人観光客の増加をみると、不思議な縁を感じてしまいますね。

さて今回の市場移転後、築地跡地には何が出来るのでしょうか?

町が変わる時、色々な思惑が絡むのは歴史を見ても分かりますが、私達にとって有意義な場所になるといいですね(^-^)


K.S.
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